フランス王妃「マリー・アントワネット」の愛用品が展示されている
マリー・アントワネット展へ行ってきた。
六本木ヒルズ森タワー52階にある森アーツセンターギャラリーで
2017年2月26日(日)まで開催中。
ここへ行けば、マリー・アントワネットの波乱の一生を感じられる。
また、HPにとても丁寧にまとめられていたので、
その言葉を借りながら、自分なりに印象に残ったことをまとめてみる。
ヴェルサイユ宮殿《監修》マリー・アントワネット展
第1章:ウィーンからヴェルサイユへ、皇女から王太子妃へ
1755年、ハプスブルク家の皇帝フランツ1世と、オーストリア大公マリア=テレジアの15番目の子として生まれたマリー・アントワネット。
1770年、14歳のマリー・アントワネットはウィーン宮廷と家族に永遠の別れを告げ、ヴェルサイユへ。
第2章:王家の結婚
わずか14歳で結婚。
今だったら絶対に考えられないw
美しい容姿に人々の賛嘆の的だったようだが、、、
だって14歳だもの!かわいいよね!!
第3章:即位-王妃マリー・アントワネット
1775年6月11日、マリー・アントワネットわずか19歳で王妃となる。
第4章:マリー・アントワネットと子どもたち
1778年、マリー・アントワネットは女児マリー=テレーズ・シャルロットを出産。
1781年、王妃は待望の男児ルイ・ジョセフを出産する。彼こそ長い間待ち望まれていた嫡子であったが、1789年6月に亡くなる。
1785年、ノルマンディ公ルイ・シャルル(後のルイ17世)が誕生
翌1786年には末娘ソフィーが生まれたが、この子は数ヶ月後に亡くなる。
第5章:ファッションの女王としてのマリー・アントワネット
(出典:1785年 油彩、カンヴァス 276×193cm ヴェルサイユ宮殿美術館©Château de Versailles (Dist. RMN-GP)/©Christophe Fouin)
今回の美術展のイメージカットとなった絵画。
第6章:王妃に仕えた家具調度品作家たち
マリー・アントワネットはヴェルサイユを初めとする宮殿の装飾に執着した。
1778年、フランスがアメリカ独立戦争に介入したにもかかわらず、王室は王妃の贅沢な求めに応じたため、国家財政はさらなる危機に瀕する。
第7章:再現された王妃のプチ・アパルトマン
唯一撮影可能だったスポット
ヴェルサイユ宮殿にある「プチ・アパルトマン」と呼ばれるマリー・アントワネットの“プライベート空間”
ヴェルサイユ宮殿以外でこの規模の空間再現がなされたのは、史上初の試みらしいが・・・
やはりこの空間はヴェルサイユ宮殿にあってこそ生かされる空間だと思った。
それでもヴェルサイユ宮殿でのひと時が蘇ってきて、
ヴェルサイユ宮殿は一度行ったらもう行かなくてもかな?と思ってたけど、
もう一度足を運んでみたくなった。
第8章:マリー・アントワネットのセーヴル磁器の食器セット
展示されている食器がかわいすぎて、
ついつい食器を集めたい気持ちに駆られた。
王立セーヴル磁器製作所
《「豪華な色彩と金彩の」食器セット》
(出典:1784年頃 磁器、軟質陶土、硬質陶土、釉薬、金彩 ヴェルサイユ宮殿美術館©Château de Versailles (Dist. RMN-GP)/©Jean-Marc Manaï)
第9章:王妃の私的な離宮「トリアノン」
王妃は宝飾品は身につけず、
当初はドレスの下に隠れ、または寝間着として用いられていたゴール・ドレスと呼ばれる肌着は、まもなく衣服として着用されるようになったが、
下記作品は、「王妃が自ら下着姿を描かせたのだ」という悪評が広まったそう。
エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン
《ゴール・ドレスを着たマリー・アントワネット》
(出典:1783年頃 油彩、カンヴァス 92.7×73.1cm ワシントン・ナショナル・ギャラリーCourtesy National Gallery of Art, Washington )
・・・下着には見えないけど、、、
贅沢しても悪評、質素な格好を見せても悪評って、なかなかかわいそうだ。
第10章:首飾り事件
これって、ルイ15世が浪費家だったってこと?
とにかくマリー・アントワネットにとっては完全にとばっちりな事件。
本当に不運な王妃である。
美術展には首飾りの複製が飾られてた。
輝きはなく、こんなものに!!って思ってしまったが、
デザインはちょっと好き。
第11章:革命の動乱の中の王妃
1789年10月、国王一家にヴェルサイユを離れてパリのチュイルリー宮殿に住むよう強要。
1791年6月、逃亡を企てた国王一家はヴァレンヌで捕らえられ、
翌年8月10日には突如チュイルリー宮が襲撃され、ここに君主政は終わりを告げる。
以降、囚われの身となった国王一家はタンプル塔に幽閉され、質素な隠遁生活を耐え忍ぶ
10月にタンプルの大塔に移されると、一家は完全な幽閉状態に置かれた。
第12章:牢獄から死刑台へ
1793年1月21日、ルイ16世はギロチン刑に処される。
7月には王妃と次男が離別させられる。
8月2日にコンシエルジュリ監獄に連行。
10月16日の正午頃、王妃は国家反逆罪によってギロチンにかけられた。
第13章:殉死した王妃への崇拝
「パンがなければお菓子を食べればいいでしょう」という発言は今ではデマであることがわかっている。
第10章の首飾り事件もそうだが、名誉回復には長く時間がかかっている。
マリー・アントワネットは世界に影響を及ぼす何かをしたわけではないけど、
いつ何時も自分の考えや好みに真直ぐに生きてきた女性であり、
そのことが誤解を生み、悪評が流れることになっても、
彼女は彼女らしく生き続けたところが魅了されるところなのかもしれない。
グッズコーナー
惹かれるグッズが多かったけど、
特に気になったのが、
額縁たち
どれも本当にかわいくて、
部屋が広ければ全部欲しかったほど。
美術館へ行ったら必ずポストカードは買うようにしているので、
絵葉書を飾る用に思い切って1つ購入!
・・・家のテイストに合わなすぎてびっくりしたけど、
無理やり飾ってるwww
その他にもココでしか買えない
『森永ビスケット マリー』の会場限定パッケージ
マリー・アントワネット展へ行って感じたこと。
「よし、もう一度ベルばらを読もう!」
「よし、フランスへ行こう!」
「・・・フランスで訪れたヴェルサイユ宮殿の記事をまとめなければ。。」
すべて2017年の目標にしようw
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